知らない人はいないのでは?
という位のスーパースターの
大谷翔平さん!
今でこそ素晴らしい成績を残されていますが
子供の頃の野球の評価はどうだったのでしょうか。
今回は、大谷翔平さんの
小学校時の頃について
深堀りしてみました!!
大谷翔平の小学生時代
大谷翔平さんが野球を始めた頃から
振り返ってどんな野球少年だったのかを
見ていきましょう!!
大谷翔平の小学校時代
大谷翔平選手は1994年7月5日、
岩手県奥州市で生まれ、
2001年4月に奥州市立姉体小学校(あねたい)に入学しました。

田園風景の中にある小学校!
この、のどかな町で大谷翔平さんは
のびのび育ったようですね!
3人きょうだいの末っ子で、
というエピソードもあります。
引用:インスタグラム
こちらの写真は5歳頃のようですが
可愛らしいお顔で面影もありますよね!!

泣き虫は意外でもないような
気がします…(笑)末っ子で沢山
可愛がられてきたんでしょうね
大谷翔平の野球を始めた経緯
野球を始めたのは小学2年生の終わり、
3年生に上がる直前の時期だったそうです。


このチームへ入団するきっかけは、
でした。
入部前から父とよくキャッチボールをしており、
すぐに野球にのめりこんだそうです。


父・徹さんは当時、仕事が忙しく、
長男さんには十分に野球を教える時間が
取れなく悔いており
そのため、末っ子の翔平さんには
一生懸命に野球を教えようと決意し、
はじめから硬式チームに入団させたそうです。



硬式ボールは当たると痛い
ですからね…私は軟式でも
痛いと感じますが(笑)
こうして、毎週末グラウンドに通い
平日の夜もお父さんとキャッチボールをして
親子で野球を楽しむ事から始まったそうです。
当時から、水沢リトルのモットーは
【親子で野球を楽しむ事!】
とされているそうで、
怒号や叱りつける声は
響かないんだとか!
それでいて強いチームだなんて…
びっくりですよね!!
大谷翔平の小学生時代の野球成績


野球を始めた大谷少年は
どんな成績を残してきたのか
非常に気になる所ですよね!
早速見ていきましょう!
投手としての圧倒的な実力
大谷翔平さんは岩手県営野球場で行われた試合で
を記録しており、
これは小学生としては驚異的な数字です。
ちなみに、
だそうで、この事からも
大谷さんのバケモノ感が伝わってきますよね!
この頃のバッテリーで
キャッチャーの少年は
「(大谷の球速は)恐怖を感じるほど球が速かった」
と証言されています。


また、球が少しずれると審判に直撃し
かなり恐れられていたようです!
硬式ボールを使う
リトルリーグはピッチャーと
キャッチャーの距離も
14mしか無いので余計恐怖だったようですね!



軟式野球は16mなので
この2mの差はデカそうです!!
近いと怖いですよねっ!!
バッターとしての活躍
小学6年生の時に行われた
リトルリーグの本塁打競争では、
しました。
そんな怪物だった大谷選手は
敬遠球を右手一本で本塁打にした
というエピソードも残っています。
練習では場外本塁打を連発し、
「引っ張り禁止令」
が出されたこともありました。
大谷選手はこの制約にも
柔軟に対応し、
結果として広角に打ち分けるバッターへと成長したそうです!



何でも自分の力に変えるという
力が、この頃から培われていたんですね!
大谷翔平子供の頃の全国大会出場経験は?!


大谷選手は水沢リトルリーグ時代には
全国大会にも出場し、
すでに全国レベルの舞台で活躍していました。
この全国大会の準決勝で大谷は
という逸話があります。
6イニングだと最高で18奪三振ですよね!?
バットに当てられた子は一人だけ!
しかも全国大会で!!
という計算ですね…
本当にスゴイです!!
まとめ
大谷翔平選手は小学生時代から投打ともに
規格外の才能を発揮し、
球速・本塁打数ともに同年代を
大きく上回る成績を残していました。
全国大会出場や本塁打競争での圧勝など、
すでに「怪物」と呼ばれるに
ふさわしい活躍を見せていたことが
分かりましたね!!
大谷選手の幼い頃を知ってますます
ファンになりそうです!
これからの活躍も期待しましょう!!
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